赤門コラム

紀元後1世紀ごろに成立したと考えられる中国最古の医学書の一つである『素問』には「東方の地の人びとは、魚類や塩味を好むので…この地ではデキモノを病むことが多く、その治療には‘砭石(ヘンセキ;石製のメス)’による処置が適する。それゆえ砭石の治療は東方から伝来した。(異法方宜論篇)」とある。

また、スイスの氷河から約5千年前のミイラが発見され、その皮膚のツボにあたる場所には入墨によるマーキングがされていたことから、鍼灸の起源がヨーロッパであるという説が有力になった。ロシアのアルタイ山脈の約2千5百年前の遺跡からも同様のミイラが出てきており、この説を裏付けるものとされる。

しかしながら、入墨文化はもっと古くから存在しており、縄文土偶は6千年前ころから作られており、その多くに入墨が施されていることが知られている。また、石製のメスは考古学的には「細石器(石刃)」に属すが、その材料となる黒曜石は北海道の遠軽町や伊豆諸島の神津島などから産するものが各地の縄文遺跡から出土する。細石器自体はロシアのバイカル湖周辺で約3万年前に登場し、日本へは1万数千年前には伝播している。

さらに、鹿児島県南端の海底火山が約7千2百年前に大爆発を起こし、その火山灰が東北地方にまで及んだことで、一時的に縄文文化の断絶が起こるが、その時期と呼応するかのように東シナ海の対岸に位置する中国の長江河口付近には、縄文文化に酷似する河姆渡(かぼと)文化や馬家浜(ばかほう)文化が開花する。これらの文化領域が徐々に北上し黄河流域に及んだことで黄河文明が成立した。

時代が下るにつれて、今度は逆に中国江南地方から稲作文化をもたらした人々が日本に渡来したことで弥生文化に繋がるとされるが、縄文人の遺伝子や縄文文化の名残は今現在の日本にも色濃く残っている。
周辺の事実を組み合わせていくと、もはや鍼灸文化のルーツは日本の縄文時代だったとしか考えられなくなる。

(臨床教育専攻科 専任教員) 浦山久嗣